河内屋と八鶴

八戸の地酒 清酒「八鶴」 (河内屋(かわちや)の酒造り)

八鶴の創業は古く、今から約235年前の天明6年(1786年)に、呉服太物商を商っていた初代河内屋八右衛門が酒屋を買い取り酒造りに取り組んだことから始まります。当初は商売っ気も薄く、なんとなく酒造りを続けていたようですが、6代目となる大正時代に大蔵省から勅任の技師、江田鎌治郎氏を招き技術指導を受け醸造技術が劇的に向上。他県にも劣らない品質のお酒を造れるようになり、八戸の地酒「八鶴」として認知されるようになりました。

八鶴は大正10年までは「老(おい)の友」という銘柄でしたが、それ以降は江戸時代に八戸藩を治めていた南部氏の家紋「むかい鶴」と、八戸の地名の「八」を掛け合わせた「八鶴(はちつる)」という銘柄になりました。
また、現在も使われている漢字の「八鶴」の文字は、日本画の巨匠、横山大観の筆によるもので、筆書き料は清酒四斗樽だったと伝わっています。

また、醸造技術の向上に伴い、全国清酒鑑評会第3位(昭和8年)、南部杜氏自醸酒鑑評会第1位(昭和43年、平成7年)、連続40回優等賞受賞(平成16年)など数々の受賞を受け、現在も長年培った技術と併せて現代の嗜好に合った商品開発に取り組んでおり、近年も青森県・東北・全国の新酒鑑評会などの公的鑑評会で八戸の銘醸蔵として多くの実績をあげております。

また、蔵の建物は、大正時代の八戸大火による焼失後に建てられたもので、特に、大正13年に建てられた事務所の建物は、大火後の復興のシンボルとして当時流行していたロシア風建築とアールデコ調の様式で建設されたもので、国の登録有形文化財「旧河内屋橋本合名会社事務所」として敷地内に難工事を経て移築保存され、現在でも八戸市中心街のシンボル的建物として地域に親しまれています。

ちなみに、現在の醸造元は八戸酒類(株)で、「八鶴」と「如空」を中心に様々な日本酒を製造しております。

八鶴(はちつる)

如空(じょくう)

八戸の老舗 「河内屋(かわちや)」

八戸の老舗「河内屋」は、初代八右衛門が今から約270年前の宝暦二年(1752年)、18歳の時に立志して八戸の十三日町に平野屋と称し呉服太物商を出店、天明6年(1786年)に八日町の豪商・松橋孫助の酒造施設を買収し、屋号と名を「河内屋八右衛門(かわちやはちうえもん)」と改め酒造業を開始したことに始まります。
二代目は領内の金銭不足を補うために銭預(ぜにあずかり)切手を発行し八戸藩の財政を支え、苗時帯刀を許される家柄となり、文化、文政期には回漕業に活躍するなど、河内屋の土台を築くこととなりました。
三代目の時代には、八戸藩から町民の分際で「右衛門(うえもん)」を名乗るとは分不相応ととがめられ、一時「八十郎」と改名、度重なり藩の財政建て直しのため多くの賦課金を命じられ献納したそうです。また、一方では山水画を得意とする日本画家雪蕉(せっしょう)を見出して義弟として迎え援助し、その画業を支えました。

名花十二客図(1876年 橋本雪蕉 画)

四代目は家業に従事する他、和歌、俳句、書道、茶道、絵画、華道、国学を学んで、幕末~明治期の八戸を代表する文人としても知られたそうです。
五代目も文学や国学を学び、また、八戸農舎の金銭預り人、士族授産につくす一方、「香月園」と称して園芸振興にも取り組み、梅園温室経営などの他、奥州菊の全盛時代を出現させたりしたそうです。

見事な花を咲かせる八戸の奥州菊

河内屋奉納の江戸期の八戸三社大祭の山車(オガミ神社保存)

六代目は、青森初の水力発電所を建設した八戸水力電気会社の創立や、家業の酒造業についても改良を重ね、大正9年に八鶴を発売し数々の賞をいただいております。翌年には、酒造業を法人に組織替えして河内屋橋本合名会社(現在の㈱河内屋、酒造部門は八戸酒類㈱)と称し、間もなく金物類の販売に取り組み金物部とし、鉄鋼建材商社の河内屋金物株式会社となる元をつくりました。

また、八戸港に水揚げされる多くの魚を保存する為に八戸製氷冷蔵株式会社を起し、八戸水産業界で最初の機械製氷冷蔵事業に取り組み、良質な水を活用した清涼飲料製造も始めました。

銘水「三島の湧水」が原料
全国的にも有名な
八戸の地サイダー
「みしまサイダー」

 

 

 

外的には、電話の開通事業への尽力や八戸自動車株式会社を設立して東北初の定期バスを運行したり、金融方面では、昭和3年に泉山銀行を創立し、その後頭取となるなど地域経済の近代化にも取り組みました。

八戸水力電気会社
旧島守発電所
(産業文化遺産として
保存されています)

 

 

 

七代目は、戦中戦後の混乱期を乗り越え老舗の事業の再建と近代化に力を尽くしました。また、八戸商工会議所会頭や県酒造組合連合会会長などを務めるなど、成長期を迎えた地域経済振興にも広く関わりました。
先代となる八代目も、日本酒の消費が落ち込む酒造業界の振興に取り組んだほか、地域経済だけではなく、教育や公安など公共福祉等にも広く力を注ぎました。また、平成9年には、文化財の指定を受けた八鶴工場の旧事務所「旧河内屋橋本合名会社事務所」の建物を街づくりに寄与することを目的に移築し、市民が集う場所としての保存に取り組みました。
現在の当主は九代目の橋本八右衛門。先達の志を受け継ぎ、酒造業、酒類卸売、鉄鋼建設資材販売及び工事業、製氷冷蔵業、清涼飲料製造業、不動産賃貸業などの諸事業をはじめ、地元経済界、酒造業界などの関連業界や地域社会の発展、豊かな郷土づくりに貢献する為の活動に取り組んでおります。

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